時刻は22時50分

観劇とかの感想を緩く的外れに。

ナイスコンプレックス「12人の怒れる男」雑感

12人の怒れる男 雑感

 

 7月20日、21日東京公演と8月2日、3日大阪公演とでナイスコンプレックスの12人の怒れる男を観劇してきました。こちら昨年の9月にも同じ公演をされていまして、その時はスルーしていたのが後になってだいぶ悔しいなと思いつつDVDでは拝見していたのですが、今回渡りに船というわけでいってきました。

 東京公演は20日怒濤の三公演、1公演1時間50分程でそれが×3。出ずっぱりの役者さん達が円卓を囲んで熱演するのを観るのは(勿論演じる方も)かなり体力や集中力的に気合いをいれていかないとなぁと思いつつ、いつも通り夜行バスに乗っていきました。薬を忘れてうとうとしか出来なかったのはわたしのうっかりです。

 さて12人の怒れる男、海外の映画が原作で舞台は夏の陪審室という名の密室。各々生まれや立場、思想が違う12人の男が、見知らぬ父親殺しの少年が「有罪」であるのか「無罪」であるのか(この場合「有罪」か「有罪ではない」の言い回しがいいかもしれないですね)、全員の意見が一致するまで帰れない。クーラーが壊れた夏の陪審室、11人の男達は少年を有罪だと確信していて陪審も彼の有罪ですぐ終わる筈だったのだが…? ざっくりしたあらすじはこんな感じ。人生で関わった事のない少年が、「有罪」であるのかそうでないのかの意見を理論的に、時には感情的に、茶化し、怒り、それとは関係の無い話題で言い争ったりする。12人の意見や感情の揺らぎ方がとにかく楽しい舞台です。

 この雑感はネタバレ有りです。huluだと原作映画見れるらしいですよ。

 

劇場に入ると客席の奥、舞台には部屋のセット。壁と窓に囲まれた円卓と12脚の木製の椅子。円卓の中央にはボールペンの入った筆立て、向かって左手前に椅子、左奥に水の入ったピッチャーと紙コップ、ティッシュの乗った棚と椅子。右奥にも椅子。窓は右側。部屋の壁三方向には黒くて薄い布がはってあります。その向こう側がロイヤル傍聴席。歩き回ったりすることが出来る特別な席でお土産(指定キャストA4サイズブロマイド、台本)付き。所謂壁になって別視点から観劇が出来る席です。

 あと東京公演は本番中、実際にクーラーを止めていました(水分補給オッケーとのアナウンスあり)。途中で壊れていたそれが復活するシーンがあるとはいえじわじわじわじわ気温が上がっていって舞台の上の議論が白熱する中盤あたりでこっちも若干意識が朦朧としてくる。暑さ+脳みそフル回転でどうにかなりそうだった。じっと席で座っている観客でさえ結構きついのにこの状況下で喋りっぱなしで怒鳴ったりつかみ合ったりうろうろしたりする役者の方がはもっとやばいだろうなあと思います。いやだって汗見えるもん。もう吐く息が厚いときのそれだもん。

 大阪公演は流石にクーラーついてました。当日最高気温が確か37度。無理やで。

 2018年版は前述しましたがDVDを観てかなりシリアス、というとニュアンスが違うかも。真面目で堅実な作りというのが一番近いのでお笑い要素がそんなになかったイメージなのですが今年はそれに対してかなりお笑い要素が増えていました。後で書きますがだいたい12号さんのせい。特に東京の12号佐藤さんのフリーダムっぷりはいい意味で場を和ませ共演者を巻き込む飛び道具っぷり。

 話し合いの内容としては「父親を殺した犯人と言われる少年の有罪即ち生殺与奪をどうするか」っていうかなり重たい内容なんで、常識的には笑えるような話題ではないじゃないですか。でもあの12人の中で全員が全員それに真剣に向き合っているかというとそうじゃないし、特に7号さんや12号さんとかね。わたし的には怒りという感情って笑いと隣り合う部分もあると思っているから、ああ、それもありだなぁって思っています。例えば日常的にも「怒り通り越して笑いがこみ上げてきた」とか「キレ芸」とか「なんでこの人こんなとこで怒っているのか分かんない笑える」とかっていう気持ちになるときがある。1号さんとかは怒るスイッチが子ども扱いされるっていう、そこ!?みたいな所があって本人的には逆鱗で真剣に怒ってるんだけど傍からみたら滑稽っていう現象。あとはどうにもならなかったり煮詰まると人って笑いを求めたくなるっていうある意味感情を伝える事が出来てしまう人間だからこその現象が2019年版「12人の怒れる男」では強めなのかなあと邪推しています。上手く言えなくて申し訳ない。何言ってんだお前って言われそう。でも観てそう思っちゃったもの。

 そうは言ってもだいたい12号さんのせいなんですけどね!重たい舞台だと心を構えて行ったらチャッキーとナウシカジャンケンで腹筋を崩壊させられたわたしの気持ちが分かるか(褒め言葉)

 そして今回、劇団Patchの方が大阪含めて4名、大阪公演10号の室龍規さんが関西出身の方だということで飛び交う関西弁が2018年版との最大の違い。飛び交う関西弁。わたしは関西出身なのですがなんかこう、改めて関西弁って圧が強いんだなぁって。

 東京公演と大阪公演、別物なの?って聞かれるとやっぱり演じる方が変わると別物だよっていう至極当たり前の事しか言えないのがもどかしいけど、ふと思ったのはキムラ真さんが手がける極上文学のキャストの組み合わせの違いの妙でその面白さは何度も感じてきた事だよなあ、と。人が変われば舞台も変わるし、箱の広さも変われば立ち回りも変わる。それを改めて思い知った舞台でした。

 例えばわかりやすいのは1号さん。東京公演は登野城さんで大阪版は東さんだったんですが、東京公演の1号さんがなるべく穏やかに他の人を窘めたり淡々と審議を進めようとしているのに対して大阪公演の1号さんは割と激しやすい性格でよく怒鳴ってる。同じ登場人物でも演じる役者さんにとって解釈やアプローチが変わる。頭では分かってるんだけどだいぶ新鮮で、濃い観劇体験でした。

来年もやりたいとキムラさんが仰ってたのでその時は是非観たいです。

登場人物や各役者さんの感想も書きたいからちょいちょい更新するかも。いつになるやら。